今週のコラム 「万人を魅了する千年企業を目指す!」 [第26話] 権威者による評価の無意味さと害悪

昨年末のテレビ番組は恒例の年末特番が目白押しでしたが、どこもかしこも同じような内容で、ほとんど興味を引くものがありませんでした。その中でM1グランプリというお笑い番組を久々に観ました。

M1グランプリとは、吉本興業が主催する漫才日本一を決めるイベント番組です。昨年末は日本全国から4094組ものコンビがエントリーして頂点を競っていました。

「笑う」という行為そのものは、精神的にも肉体的にも非常にいい影響を及ぼすことが科学的にも立証されているので、お笑いが大衆文化として定着していくことは非常に良いことに違いありません。

ただし、観ていて違和感を覚えたのは、チャンピオンを決するプロセスとその後の影響についてです。実はこれと同じことがM1グランプリに限らず、日本だけではなく世界中のいわゆるコンクールやコンテストと称されるイベントで行われています。

この時感じた懸念は経営にも通ずる部分がある、と思ったのが今回のコラムテーマを設定したきっかけでもあります。

話を戻しますと、M1グランプリでは、6~7名のお笑い界の重鎮的な芸人が審査員となり、彼らの採点の合計点を競い、最高得点を獲得したコンビが優勝者になるという流れです。

優勝したコンビには、「M1チャンピオン」という称号が与えられ、翌日からいきなり各テレビ番組出演のオファーが殺到するようです。それまでの下積み生活から一転して時の人に成り上がる、という構図です。

優勝を勝ち獲ったコンビにとって、それまでの長い下積み生活が一気に報われるというのは非常に喜ばしいことです。そのこと自体をとやかく言うつもりはありません。

しかし、気になることが二つあります。一つ目として、「チャンピオンを決めるプロセス」です。審査員がたとえお笑い界の重鎮とはいえ、たかだか6~7名の審査員の個人的好き嫌いだけで優劣が決められて、底の浅い権威付けがなされてしまうこと。

気になる二つ目として、「チャンピオンに対する芸能界の過度な偏重」です。M1チャンピオンのみが価値がある、と言わんばかりの各メディアからの横並び的な仕事の過度な一極集中。それを各メディア(テレビ、新聞、雑誌等)を通して、毎日のように観されられる一般大衆。

極端な言い方をするならば、僅か6~7名のお笑い界の重鎮の単なる個人的な好き嫌いが拠り所となり、各メディアの向こう一年間のコンテンツ構成が大きな影響を受けることになります。

それを毎日目の当たりにさせられる一般大衆も「M1チャンピオンなんだからお笑い芸人として超一流に違いない。だから、彼らが出る番組は面白い。」という、(ほとんど根拠のない)図式を刷り込まれていく訳です。

芸能関連業界も一般大衆も、自分たちが純粋に面白いと感じる芸人のネタを楽しむという、お笑い本来の楽しみ方をどこかに置き忘れてしまっているようです。つまり、自己判断でダイアの原石を発掘するという努力を払うことなく、第三者がお墨付きを与えたモノを何の疑問も躊躇もなく受け入れさせられているのです。

もし、審査というプロセスを排除して、一般大衆が何の先入観も持たずに、M1参加者のネタを観たとしたら、重鎮たちが全く評価しなくても、面白いと感じるコンビが少なからず必ずいる筈です。つまり、重鎮たちの審査結果とは全くかけ離れた評価が存在する筈です。それは人間の本質を考えたら、極めて当たり前のことです。

なぜなら、人間の価値観や好き嫌いは十人十色で、金太郎飴のように一律ではないからです。むしろ、健全な多様性の存在こそ、その集団の進歩成長を生むための土壌になるのです。

そういった存在して然るべき健全な多様性を、数人の重鎮たちの好き嫌いが一定方向に主導してしまい、なおかつ、その後の芸能界をすら右へ倣えで金太郎飴化してしまう。

これが、大衆芸能を育てる環境と言えるでしょうか?大いなる疑問を禁じ得ません。一般大衆が持っていて然るべき嗜好の多様性が余りにも軽視されています。

翻って冒頭に触れたように、会社経営に置き換えて言及してみます。

もし、経営者が自分の判断基準を持たず、世の中のランキングやトレンドばかり後追いして、経営判断を下すような会社だったらどうでしょうか?言い方を替えるならば、第三者がお墨付きを与えたモノを、そのまま自社に採り入れようとしてばかりいる会社だったらどうでしょうか?

そのような会社が世に送り出す商品・サービスはよほど際立ったものであれば別ですが、ほぼ間違いなく魅力に欠けるので、そういった商品・サービスはおろか会社までもが、いずれは淘汰されていくでしょう。

逆に、際立った商品・サービスを世に送り出すような経営者であれば、世のランキングやトレンドを後追いするなどということはまかり間違ってもする訳がありません。むしろ、ランキングやトレンドなどは全く意に介さず、商品・サービスを世に送り出し、市場をアッと驚かせることを積み重ねていくのです。アップルの故スティーブ・ジョブズ氏がそうだったように。

経営者たる者、自分の経営判断の後ろ盾を市場のランキングやトレンドに求めているようでは、残念ながら、そこに経営者としての軸は存在していません。不測の事態が生じた場合、外部環境に責任転嫁する典型です。

逆に、市場ランキングやトレンドなど眼中になく、あくまでも経営者自らがとことん考え抜いた上で経営判断を下す。したがって、どんな不測の事態が生じても、外部環境に責任転嫁することなどなく、全て自己責任で対処していく。

社員はそうした経営者の軸の太さ、もしくは軸の細さをとてもよく見ています。たとえ経営者が取り繕っても、いとも簡単に見抜きます。

結果、軸の太い経営者の下には、志の高い社員が集結し、より一枚岩の集団になっていきます。軸の細い経営者の元からは、志の高い社員は呆気なく去って行きます。企業間の格差は、こうした点からも生まれていくものなのです。

経営者は紛れもなく、会社のトップでありリーダーです。そのリーダーが自分の判断基準の後ろ盾を外部に依存しているようでは、集団を率いていく資質を欠いていると言わざるを得ません。

既に長々と触れたM1グランプリの影響が、僅か数名のお笑い界の重鎮(と、たまたまランク付けされているに過ぎない人達)の個人的な好き嫌いにより醸成され、それを取り巻く芸能関係者が、その好き嫌いによる評価をあたかも錦の御旗であるかのように崇め奉るのと同じような構図が、企業経営の舞台で再現されてはならないのです。

世の至るところで発表されている様々なランキングやトレンドなどに依存せず、経営者は自らの軸を極太に持ち、経営判断を積み重ねていってもらいたい、と切に願っております。

あなたは、自らが下す経営判断の後ろ盾を外部に求めようとしていませんか?