今週のコラム 「『盤石の財務基盤』を次世代へと繋ぐ」 [第36話] 大企業にはあり得ない『中小企業だからこその強み』に気付いていますか?

このところ巷では、「森友学園に関わる財務省による公文書改ざん問題」が世間の耳目を集めています。

報道番組はこぞってこの問題をメインに採り上げ、お馴染みのコメンテーターたちが独自の説を披歴しています。

何事においてもそうであるように、この事件についても真実は一つしかない訳ですが、それを巡ってあたかも推理コンテストのように著名人の面々が様々な自説を延々と繰り広げています。そのために貴重な公共の電波が占有されている状況に違和感を感じざるを得ません。

とは言いつつも、真実が闇に葬り去られないことを祈りつつ、今回のケースを一つの糸口として企業経営という観点から、組織の巨大さゆえの弊害、そして、対極にいる中小企業特有の強みをお伝えします。

今回のケースは、財務省という国の行政を主管する官庁の中でも財政(特に、国家予算の采配)を管轄する強大な権限を持った省の内部で起きている事案です。

財務省の在籍職員数は凡そ7万人と公表されており、組織としてのサイズは極めて巨大です。

今回の一件を大企業に当てはめた場合、「業務本部 → 部 → 課 → 係」といったヒエラルキー型組織の各階層で何らかの不祥事が起こった時に、その正体がなかなか掴めないという状況に陥ります。

これに経営者が絡んでいるとしたら論外です(つまり、その会社の存在価値は消滅します)が、仮に経営者ではなく経営幹部主導で不祥事が起こされたとした場合、経営者としては、正体が掴みづらく、兆候はおろか、顕在化するまで分からない場合が多いでしょう。

なぜなら、大企業ならではの特性として、組織サイズの大きさゆえに、経営者の目が行き届かない領域が広範囲に及ぶからです。

企業存続に急ブレーキを掛ける企業不祥事など断じて起こしたくない経営者にしてみれば、兆候段階からその芽は摘み取りたいわけです。しかし、それがままならない場合が実に多い。

なぜなら、企業規模の大きさゆえに、経営者から社員の顔が見えないからです。「社員の顔が見えない」ということは、「社員が会社内でどのような業務をどのように遂行しているのか見えていない」ということなのです。

「30人の壁」とは、けだし名言です。これは、経営トップが一人一人に目を配ることができなくなる企業サイズを社員数で表現したものです。

大企業の場合、この30人を遥かにしのぐ規模になっているので、30人を超えるまではひと塊だった組織を、30人を超える時点でXX部、XX課、XX係として組織化して、会社全体の業務を機能的に分担し、かつ各組織で行われていることを見える化する仕組みを構築しているのが通常です。

ただし、この仕組み構築が上手くいかず苦しんでおられる経営者も数多くいらっしゃいます。

前回のコラム(第35話:真の適材適所が企業の存続成長に及ぼす計り知れない影響)でお伝えしたように、適材適所の重要性を軽視した状態で、いくら仕組みを構築し人員を配置したとしても、期待通りの効果は生まれません。

また、損益を商品単位・顧客単位で把握可能にする経営数値管理の仕組みが不十分だったとしたら、この場合も同様に組織化の効果は生まれません。なぜなら、事業を高収益化するインフラが不在だからです。

つまり、大企業の場合は、組織面だけでなく複数の経営課題に対応できる仕組みを構築しない限り、経営者が社内の状況を把握することなどほぼ不可能になるということです。何が起こっているのか分からない、もしくは、分かるまで相当な時間を要します。

一方、30人未満の文字通りの中小企業の場合はどうでしょうか?

この企業規模の場合、大企業と異なり、経営者は社員の顔をすべて把握可能です。以前のコラム(第14話:「経営者と社員との距離」など、そもそも存在しない)でもお伝えしましたが、経営者の意識の置き方次第では、社員との距離そのものが存在しない状態を作り上げることも十分可能なのです。

30人未満の中小企業経営者であれば、出社時の社員の顔つきを見れば、「こいつは今朝、夫婦喧嘩をしたままの状態で家から出てきたな。」とか、「こいつは娘のことで悩んでいるな。」とか、一目で見抜きます。

社員は社員で、朝一に社長の顔つきを見れば、「今日の社長は機嫌が悪いな。」など、こちらも一目で見抜きます。

この阿吽(あうん)の呼吸が社内で絶妙に噛み合っての中小企業の毎日なのです。ここに、「忖度(そんたく)したのしなかったの」とか、「下から情報が上がってこないので詳細が分からない」などと言った歯がゆい状況は存在しないのです。それだけ一枚岩だということです。

ただし、こうした中小企業にも落とし穴があります。それは、経営者と社員が余りにも互いを分かり過ぎており、尚且つ、経営者がある意味、家長としての全幅の信頼を獲得しているため、仮に、家長である経営者の方向性が濁り、淀みが生じた場合、そのマイナス面も社員にそのままストレートに伝播してしまうという点です。

これは、中小企業の経営者たるもの、家長としての覚悟をブレさせることなく磨き続けていかなければならない責任の大きさをも意味します。良くても悪くても、社員を自らに同化させてしまうという、いわゆる両刃の剣が存在するのです。

このように中小企業には、「経営者と社員との距離そのものが存在しない、もしくは、存在しても極めて至近距離である」という、大企業では絶対にあり得ない、『中小企業だからこその強み』があるのです。

今まで幾度となくお伝えしている通り、中小企業はヒト・モノ・カネの経営資源において、大企業に比べて圧倒的な劣位にあります。だからと言って、「どうせウチの会社は中小企業だから」などと卑下する必要は全くありません。

もちろん、ヒト・モノ・カネの余裕がないのは事実ですから、隙のない経営を進めていくことは必須です。

そこには、潜在利益を覚醒させて、隠れた赤字は撲滅させて、伸ばし切れていない黒字は圧倒的に伸ばしていく「事業の高収益化」の推進は並行していかなければなりません。

ただし、その大前提として、中小企業には「中小企業だからこその強み」があるのです。

「経営者と社員との距離の無さ、もしくは近さ」、これだけは大企業がどれだけ逆立ちしても勝てません。

経営者たるもの、「中小企業のウチだからこそ、XXも出来るし、YYも出来るんだ!」と発想を切り替えて、大企業には真似のできない経営者と社員が一致団結した経営を推し進めていただくことを願って止みません。

あなたは、あらゆる局面で「中小企業のウチだからこそ」と発想を切り替えていますか?