今週のコラム 「『盤石の財務基盤』を次世代へと繋ぐ」 [第39話] もし「若手社員の取り扱いマニュアル」的なモノに頼っているのなら、会社の将来は危うい

「最近の若者は・・・」という年配者の嘆きは、今に始まったことではなく、昔から常に使い回されているフレーズです。

世代交代が進めば、昔の若者であってもやがては年配者となるわけですから、「最近の若者は・・・」が永久運動の如く、巷を行き交うわけです。

会社組織の中でも同様の状況は確実に存在します。会社の中では古参社員、中堅社員、新入社員が混在しているため、古参・中堅の社員から新入社員を見たら「最近の若者は・・・」となる訳です。

別の言い方をするならば、外部環境そのものが年々変化し、若者が思春期に受ける影響自体が刻々と変化するため、会社に流入してくる価値観そのものが常に変化しているということになります。

常に最新の価値観を引っ提げて、毎年新入社員が入ってくるので、古参中堅社員から見たら、彼らは「未知との遭遇」のような存在になってしまうのです。

だからと言って、新入社員との接点を持たない訳には到底いかず、むしろ彼らの能力を少しでも多く、かつ一日でも早く引出して、会社の戦力になるよう育てていかなくてはならないのです。

新入社員の一番の教育係となる直接の上司がその対応に苦労するのは当然です。しかし、最も苦労するのは、新入社員と上司が共存共栄できるように会社組織全体のパワーバランスを調整していかなければならない経営者に他なりません。

年々世の中の環境が変化すれば、それに呼応して若者の価値観も毎年変化します。創業が古い会社ほど幾世代にもわたってそうした異なる価値観の若者を雇用しているので、社内は異なる価値観のるつぼとなってくる訳です。それを掌握するのが経営者なのです。

この価値観のるつぼを経営者としてどのように受け止め、消化し、それを自らの経営姿勢にどう落とし込んでいくのかにより、社員の将来性・会社の将来性は変わってきます。

では、経営者として新たな価値観にどう向き合っていくべきなのか?

結論を先に言いますと、向き合う必要などありません。なぜなら、向き合うという前提で思い悩んでいること自体、経営者としての視点を年々変化する価値観に合わせているため、その微かな変化にも振り回されてしまい、何の解決にもならないからです。

経営者たるもの、視点を社員のレベルより遥か高いレベルに固定したまま、社員とその家族を守り抜くという覚悟に基づいた太い軸を以って、自らの価値観を見せつけていかなければならないのです。

様々な価値観を持った社員に懸命に合わせようとするのではなく、彼らの視点を完全に凌駕する経営者としての視点を見せつけることにより、納得させていくしかないのです。

ただし、これは並大抵の努力では実現できません。

しかし、この方向を目指すことなく、巷に溢れている若手社員の取り扱いマニュアル的なノウハウ本がさも正論かのように唱えている手法、たとえば「叱る時は決して声を荒げてはいけない」とか「注意する場合は精神論はNGで、理論的に説明すること」とか言う程度の小手先の対処法をアテにしているとしたら、経営者としての使命を放棄していると言われたも仕方ありません。

しかも、そういった浅い考え方では会社にとって悪循環を招きかねません。

なぜなら、社員は経営者が思う以上に、経営者の一挙手一投足を見ています。その経営者が若手社員と同じ視点に降りてきて、懸命に合わせようと右往左往している姿を見てどう思うでしょうか?敢えていう必要もないでしょう。

経営者は視点を降ろしたらダメなのです。視点を経営者のレベルに固定したまま、社員に接すればいいのです。そして、社員に気付かせていけばいいのです。

気付く社員は残ってくれます。逆に気付かない社員は辞めていくでしょう。経営者はその現実を受け入れるだけなのです。

ところで、昨今、日本企業の中にも、欧米型資本主義的な「生き馬の目を抜く」経営手法で業績を伸ばしている企業もたくさんあります。一方で、社員にやさしい企業風土を標榜して業績を安定成長させている企業もたくさんあります。欧米型資本主義とは真逆なだけに、かなりの注目を集めています。

では、その「やさしさ」とは何でしょうか?

それは父性と母性を兼ね備えたやさしさです。意味を履き違えて、なあなあのやさしさを振りかざすと、今回のタイトルのように会社をダメにしてしまいます。やさしさの次元が異なるのです。

まず、父性から。これは言い換えると、厳しさを持ったやさしさであり、傍目から見たら鬼にしか見えないような時もあります。

どこを目指してのやさしさなのか。

 

それは、社員の将来を見据えてのやさしさです。つまり、社員が将来的に自立して生き抜いていける力を身に付けさせることを目指したものです。

そこを目指す過程で、仮に社内に和気あいあいの雰囲気が醸成されることがあったとしても、それはおまけのようなものです。経営者として社員にいい格好がしたいといった自分目線も邪魔なだけです。

経営者として目指すべきは、社員の自立力の養成、これに尽きます。

今の会社が将来的に不測の事態で倒産を余儀なくされた場合、経営者が最も心を痛めることは、社員とその家族が路頭に迷うことです。その時に、社員が自立力を身に付けてくれていれば、早晩、再就職先が見つかり、路頭に迷うリスクを最小限に抑えることができまです。

だから、自立力を身に付けさせるためには、経営者は鬼にもなれるのです。すべては、社員を思うやさしさに端を発しているのです。なあなあのやさしさとは次元が違うというのはこうした理由があるからです。

次は、母性。これは、命懸けのやさしさとも言えます。

社員に自立力を身に付けさせるためには、あらゆる局面で、命懸けで社員を守り抜く、ということです。こちらも、なあなあのやさしさとは次元が異なります。

経営者として、社員から良く思われたい、とか、社員と仲良くしていきたい、などといった自分目線、もしくは自己重要感を充たしたいなどという意識は微塵も持っていません。見ているのは、ひたすら社員の将来。

経営者の一挙手一投足に、視点の高さ・思いの純粋さ・覚悟の太さ、が伴っていれば、社員は経営者の凄みを感じ、放っておいても自らのやるべき事に気付き、自ら動きます。

そして、仕事を通して自らを鍛え、生き抜く力を身に付けていきます。と同時に、会社組織の中で社会性を身に付けていきます。こうして、経営者が思い描く流れが実現していくのです。

経営者として、今一度、若手社員に対する自らの思いを見詰め直していただくことを願って止みません。

あなたは、若手社員を理解するために歩み寄ることこそが彼らのためになる、と勘違いしていませんか?