今週のコラム 「『盤石の財務基盤』を次世代へと繋ぐ」 [第45話] 経営計画未達に際しての経営者のバランス感覚

ノートと万年筆

今世間を騒がせている事件の一つに、日本大学アメリカンフットボール部が試合中に犯した悪質タックルの一件があります。

この事件をスポーツの現場での事件として捉えると「ルールを無視したスポーツマンシップを冒涜するようなあるまじき行為」として断罪される流れになります。現にそうなっています。現場責任を負うべき立場の監督は、現に世間から批判の集中砲火を浴びています。これは必然の流れです。

しかし、捉え方の抽象度を一段上げることにより、この一件が多くの企業経営者に対して、警鐘を鳴らしているということが分かります。

今回の事件の加害者である日本大学アメリカンフットボール部は、関西学院大学と双璧をなすアメフト界の名門です。しかも、昨年は大学日本一にもなったこともあり、今年のシーズンも当然の如く日本一を連覇することを強く求められていたことは想像に難くありません。

「勝ってあたり前」という目標設定を周囲から半ば強制されて、監督もそれを受け入れそれを選手に課す、つまり勝つこと以外は許されない空気がチーム内外で蔓延していたのでしょう。

つまり、「連覇を目指す」という目標がいつの間にか「連覇してあたり前」のノルマに変化してしまい、「連覇以外はあり得ない」という逃げ場のない空気が出来上がってしまった訳です。

スポーツを通して選手たちの健全な心身を作り上げるという、抽象度の高いスポーツ教育の理念はどこかに消え去り、「連覇以外はあり得ない、そのためには手段を選ばない」が唯一無二の目的に置き換わってしまったのでしょうか。現場リーダーが理念を忘れて暴走することの怖さと愚かさを今回の事件でも容易に窺うことができます。

これを上場企業に置き換えた場合、実は違和感なく当てはまるのがよく分かります。

たとえば上場企業の場合、株主の期待に応えるべく、企業価値を最大化することを重要経営課題の一つとして掲げ、経営陣はそこに向かって舵取りをしていきます。その目的は、毎年プレス発表する業績目標の達成であり、その根拠となるのが経営計画なのです。

戦略・戦術がうまくかみ合って、外部環境変化も阻害要因にならず、むしろ追い風になろうものなら、期初に発表した業績目標は経営計画通りに達成できるわけですが、実際はそう思うようには行きません。

それはそうです。競合がひしめき合う中で業績目標を達成するということは、数多くの競合に勝つということを意味することであり、しかも全ての競合が同じことを懸命に目指しているからです。

必ず想定外の阻害要因が勃発し、業績目標達成が困難になる事態が多くの上場企業で発生します(もちろん、中小企業ではさらに熾烈な争いが繰り広げられています)。

そして、未達幅が一定レベル以上になると、業績修正のプレス発表をしなければならず、その結果、市場の期待に応えられなかったという評価になり、株価は一時的にせよ下落の洗礼を受けるのが一般的です。

経営陣はそういった事態を避けたいがために、業績目標未達を避けるためにいろいろと手を尽くすのです。

後半でお伝えしますが、実は、この時の経営陣における倫理観バランスというものが非常に重要になってきます。まさに、論語と算盤の世界です。この時にバランスを欠いた判断を行うと組織の瓦解を招く事態にもなりかねません。

さて、不測の事態が生じて、経営計画の達成が危うくなった場合、経営者として、どう向き合うべきでしょうか。

経営計画そのものは、経営者として約束したことだから、どんな事をしてでも達成するのが当然だろう、という声も聞こえてきそうです。(上場会社であれば、尚更です)

しかしながら、経営者であれば、ここで一歩立ち止まっていただきたい。

そもそも、何のための経営計画の達成なのでしょうか。

経営者のビジョン達成でしょうか?

社員の成長を促すためでしょうか?

経営者の見栄やプライドの充足でしょうか?

利害関係者からの高評価獲得でしょうか?

この環境激変の時代、経営計画に掲げた目標利益を達成すること自体、とても大変なことです。ですが、大変だからこそ、そこに経営者としての軸が必要不可欠なのです。

もし、経営者の見栄やプライドを満たしたい、とか、様々な利害関係者からの高評価獲得のために、社員にノルマを課す如き圧を掛けるのであれば、社員は間違いなく疲弊します。

なぜなら、社員にしてみれば、経営計画達成のための苦労は、経営者の自己重要感の充足のためにさせられているというのが明白だからです。これは最も避けるべき事態です。

では、目標未達の状況に対して社員に何ら努力をさせないのか、これも違います。

過去のコラムで何度かお伝えしていますが、肝心なのは社員に寄り添う経営者の姿勢です。

社員が成長し独り立ちできるような地力を身に付けさせてあげたいといったことを真剣に願っているのであれば、たとえ鬼の如き厳しさであっても社員は分かってくれます。

あくまでも社員目線が大前提で、経営者の自己重要感などほとんど薄まっており、自分がどう思われようと全く意に介さない姿勢です。

逆に、社員を厳しくしたら辞めてしまう云々といった過保護的な寄り添い方の場合、それは傍目からは優しい経営者に映るかも知れません。しかし、それは社員に良く思われたいがための自己重要感満載の自分目線の姿勢として見透かされます。

「口では社員のためと言っているが、それは上っ面のことで本当はあくまでも自分のために違いない」と、社員に伝わってしまうのです。

経営計画の達成を目指す中で、社員への厳しさのバランスをどう図るのか。

経営者が自分にしか焦点を当てていない自分目線の厳しさは、社員の心に刺さる筈もなく、社員は疲弊するだけでやがては退職していきます。これが常態化したら、会社そのものが弱体化することは誰の目にも明らかです。

逆に、経営者が社員に焦点を当てた社員目線の厳しさであれば、社員はその厳しさに応えようとし、時が経つに従い、会社の中は一枚岩になり、会社そのものは強くなっていきます。

経営者たるもの、経営計画の達成を目指すことは必要です。しかし、その根底に、何ための経営計画達成なのか、常にブレない軸を持っていただきたいものです。

あなたは、経営計画をノルマに置き換えることなく、社員と共に企業成長の舵取りを続けていますか?