今週のコラム 「万人を魅了する千年企業を目指す!」 [第46話] 既存の構造の上にあぐらをかくことの愚と怖ろしさ

今週も、冒頭から先週のコラム同様、日大アメフト部の一件を引き合いに出します。

日大側の余りにもの歯切れの悪い対応が原因で、世間の怒りや報道合戦がヒートアップしているのも分かりますが、当事者となる学生の個人名が飛び交う今の状況もいかがなものかと思い、後は警察の手にゆだねて経過報告だけ報道されれば十分と思っているのは私だけでしょうか。

前置きはこのくらいにして、日大アメフト部の指導陣は、昔から既定路線として定着していた構造の上にあぐらをかき過ぎてきたのではないでしょうか。

この場合予想される昔からの構造とは、監督をピラミッドの頂点として、その下位階層としてのコーチ、またその下位階層としての選手、というヒエラルキー的な階層構造。

頂点に位置する監督の命令は絶対服従、つまり、返事は「はい」か「イエス」しかない。「なぜですか?」などという疑問を呈することすら許されず、ましてや「いいえ」や「ノー」などは100%あり得ない。

スポーツの世界で常勝軍団を作るためには、この超トップダウンのやり方がもたらす効果は確かにあります。しかし、大前提があります。それは、トップ、及びそれに準じる者たちにリーダーとしての軸が備わっていることです。

その大前提がものの見事に崩れているからこそ、今回のような騒動になっているのではないでしょうか。

日大アメフト部の指導陣はリーダーとしての軸を持ち合わせていないにも拘らず、この超トップダウン型の構造を疑うこともせず、振り返ることもせずに、当該構造が唯一無二であるかの思い込みしか持っていなかったのではないでしょうか。

この思い込みこそ、思考の上での「固定点」と呼ばれているものです。そして、この固定点についてですが、哲学的な命題として、「この世界に固定点など存在しない」と言われています。

それはそうです。この世の中の事物を形作るのは、人間の思考であり、その人間の思考は時代と共に変化するものであることを考えると、固定点などあり得ないのです。

日大アメフト部の指導陣がある筈もない固定点にしがみつき、自らの思考の純度が濁るに任せてきたツケが一気に噴出したのが、今回の一件ではないでしょうか。

既存の構造にしがみついている限り生き延びていける、などといった固定点に囚われて思考停止になりがちなのは、スポーツの世界に限ったことではありません。

このことは、「経営者が取り組む企業経営」にもそのまま当てはまるのです。

企業というものは、いくつもの業務プロセスが連綿と続く中で存続していく組織体です。

どういった業務プロセスかといいますと、まずは「営業」。営業することにより売上を作らないと仕入も出来ないし、経費も支払えません。ましてや、経営者が思い描くビジョンに向かうことなど叶わぬ夢に終わってしまいます。とにもかくにも売上がなければ、企業存続などできません。

次に「仕入」。売るためには、仕入れなければ売りようがありません。

次に「製造」。加工品が商材の場合には、製造プロセスは必須です。

次に「財務経理・人事・総務」。管理部門として、営業、仕入、製造といった業務プロセスを陰となり日向となって支えます。

こうした業務プロセスがバトンリレーのように粛々と行われているのです。そこには、業界が持つ特色のようなものがあり、それが業界の構造を形作っているのです。

たとえでいえば、同じ一つの生簀(いけす)の中で魚が餌を求めてうごめいている状態に近いのではないでしょうか。

つまり、餌が生簀の中に放り込まれたら、我先にと飛びつく。餌が食べ尽されたら次の餌が放り込まれるまでただ待つだけ。

だからこそ、構造の中であぐらをかいていると、良くて現状維持、さもなくば、その構造の中では何一つ目立つこともなく埋没していくだけの運命となるのです。

ではどうすれば、構造の中に埋没せずに済むのでしょうか。

唯一の解などはありません。

それはそうです。この問いに簡単に解が出るようであれば、誰しもこの構造に埋没することなく、経営不振に苦しむこともない筈です。

ただし、構造からの脱却を目指す際の思考の拠り所としては、以下のように考えられます。

まずは、業界の構造などは、業界に属してきた先人たちの思考の創作物に過ぎない、という点です。

そして、その構造における不動の存在として思い込まされている固定点など実は存在しておらず、それは変化し続けて然るべきものであり、思考停止してしがみついていいものではない、という点です。

だから、今まで自分が業界の構造だと信じて疑わなかったすべての固定点を疑ってかかるのです。

たとえば、財務経理面の固定点を疑ってかかるとどうなるでしょうか。

従来の固定点として、「月次決算は早期化が望ましい」というのがあります。しかし、これは本当に意味があるのか、と疑ってみるのです。

なぜなら、月次決算書に記載されている数字は、先月におけるすべての業務プロセスの結果が数字で集計されているに過ぎず、それがどれだけ早く経営者に提示されたところで、「売上が例年よりXX円伸びたか。」とか「営業利益は例年よりXX円下がったか。」といった結果値だけの比較に終わってしまい、それだけでは効果のある打ち手など打ちようがないからです。

これが、売上がどのようなプロセスを原因としてもたらされたか、が分析把握できている場合、そのプロセスをコントロールしていけば、結果的には売上高をコントロールできるのです。

この原因プロセスの分析把握を通常の月次決算に加味するのです

このように、従来からの月次決算の構造を鵜呑みにすることなく、その構造から一歩抜け出た、異なる観点を加えた月次決算であれば、早期化の意味は大いにあり、結果的に経営判断に貢献することになります。

とはいえ、会社というものは従来から属する業界が持つ構造の中で存続していかなければならないという現実が一方であります。

つまり、構造の肯定と構造の否定という相反することを両立させていかなければならないのです。

では、どのようにすればいいのかというと、「業界の構造の下僕に徹する」一面と、「業界の構造を否定する」一面といった具合に、相反する二面を併せ持った経営を行っていくことが必要になってきます。

具体的には、従来通りの業界の構造内で既存ビジネスを続けていく一面と、業界を俯瞰しつつその構造と固定点を否定して業界内では誰も思いつかない新規ビジネスを模索していく一面です。

言ってみれば、二重人格的な動きです。

経営者たるもの、ビジネスの世界に固定点など存在しないという意識を常に持ち合わせて、経営に向き合っていきましょう。