今週のコラム 「『盤石の財務基盤』を次世代へと繋ぐ」 [第53話] これに気付かなければPDCAは回らない。「これ」とは?

ウィトゲンシュタインという現代哲学の巨人がいます。彼は語っています。「心理学者が人間の感情の動きをあたかも理論的に説明しようとする場合、実は理由と原因を混同しており、結果的には理論的には語っているわけではない。」と。

フロイトという心理学者が「私たちがその理由を自覚せずに笑う時も、精神分析によってその理由を見出しうる」と主張することに対して、ウィトゲンシュタインは、「そこに理由と原因の混同が存在している」として、次のように反駁しています。

「理由」は相手が同意することにより成立するだけであり、私的言語にすぎない。一方で、「原因」は相手の同意とは無関係に反証可能性を含む科学的概念である、と。

企業経営において、この「理由と原因の混同」が何の違和感もなく行われている局面があります。

それはPDCAです。自社の経営をモニタリングする際の代表的な手法であり、経営者であれば誰でも知っているものです。

ただし、実行しているか否かというと、大企業は実行できています。だからこそ、現在大企業になっているとも言えます。卵が先か鶏が先か、の議論になりますが、大企業だからPDCAができるようになった、もしくはPDCAができているから大企業になった、いずれもありです。

つまり、逆もまた然りで、中小企業の場合、ほとんどの企業においてこれができていません。知らない経営者も多いです。だからこそ、中小企業から一歩を抜け出せないでいるとも言えます。

さて、Pは計画(Plan)、Dは実行(Do)、CはCheck(評価)、AはAction(改善)を意味しています。

この4つの局面をグルグル回して経営状態をモニタリングしつつ改善していく営みをPDCAといいいます。

先の「理由と原因の混同」が起きている局面がC(評価)とA(改善)です。

以下、具体的な例示を示します。

たとえば、他店舗展開するスーパーが、8月上旬に7月実績と7月計画を比較分析して改善策を打ち出す経営会議を行ったとします。

その経営会議での一コマをイメージしてください。

(社長)「7月の売上計画は100百万円だったが、実績は70百万円と30百万円(3割)未達になっている。この『理由』を説明してもらいたい。」

(営業担当役員)「『理由』を説明します。7月は御存知のとおり台風が例年より早めに日本列島に上陸もしくは接近し、我が社の店舗エリアも多大な被害を受け、その来店客も激減した次第です。」

(社長)「確かにそうだった。了解した。では、8月の中で7月に生じた売上減少をどのように挽回するのか。そのための施策を説明してもらいたい。」

(営業担当役員)「それにつきましては、・・・(省略)・・・。」

(社長)「分かった。頑張ってくれ。」

以上、非常に単純な例を示したのですが、一般的に行われているPDCAのCとAに関するやり取りとして、特に違和感を感じることなく、受け取られたかも知れません。

あえて、社長の「理由を説明してもらいたい。」とか、それを受けての営業担当役員の「理由を説明します。」という「理由」を主役にしたフレーズを例示した訳です。

この「理由」を求められて説明する営業担当役員は自らが「同意」している個人的見解を述べただけで、説明を受けた社長は営業担当役員が「同意」している個人的見解に自身も「同意」しただけにすぎません。

付言するならば、もしかしたら7月の売上不振の原因は、実は、他にも重要なものがあったかも知れないのです。しかし、営業担当役員が個人的見解として、天候不順にフォーカスを当てていたことで全ての考察がその方向で偏重したまま組み立てられてしまったという訳です。

つまり、営業担当役員という一個人の個人的見解に「同意」を積み重ねているだけなのです。

これで、実効性のある施策を打ち出すことができるのでしょうか?明らかに「否」です。

逆もまた真なりで、以下のようなやり取りも十分にあり得ます。

(社長)「7月の売上計画は100百万円だったが、実績は70百万円と30百万円(3割)未達であった。この『原因』を説明してもらいたい。」

(営業担当役員)「考えうる『原因』を説明します。7月は例年になく台風が日本列島に上陸または接近し、我が社の店舗エリアも被害を受け、総店舗数10店舗のうち、5店舗がその影響をまともに受けました。具体的な影響として判明している点は、①営業休止日が通常定休日に加えて3日追加したこと、②来店客が通常よりも2割減少したこと、物流の一時中断による欠品ロスが15百万円生じたことです。③ただし、台風以外の原因もXXX(省略)が考えられます。これらが売上減少の考えうる『原因』です。」

(社長)「今説明のあった『原因』を踏まえて、7月の売上減少を挽回すべく、8月中に打てる施策を説明してもらいたい。」

(営業担当役員)「実行可能な施策を説明します。それはXXX(省略)です。」

(社長)「了解した。今回の『原因』はあくまでも売上減少に対する仮説にすぎないので、施策を打つ中で仮説検証を繰り返しながら、可能な限り仮説の純度を上げていくように。宜しく頼む。」

このように、営業担当役員が説明した原因は一個人の個人的見解ではなく(つまり、本人の同意を伴うようなものではなく)、反証可能性を含む科学的概念とでも言いましょうか。

だからこそ、原因を仮説として位置付けて、仮説検証を繰り返していけるのです。

しかし、多くの中小企業で繰り広げられるPDCAは「理由」に対する同意の積み重ねであり、その結果、打ち出される施策の実効性は期待しにくいものに陥っています。

逆もまた真なりで、少数の中小企業で行われているPDCAは「原因」に対する仮説検証の積み重ねであり、その結果打ち出される施策の純度は高まり、その実効性は期待できるものとなっていきます。

ちなみに、この少数派の中小企業は、「原因」にフォーカスしたPDCAを継続していく限り、やがては中小企業というカテゴリーから一歩抜け出し、大企業への道を歩んでいく素質を十分に持っています。

「理由と原因」、この似て非なる言葉を改めて認識したうえで、PDCAに取り組んでいただきくことを切に願っています。

あなたは、自己満足のためではなく、自社を改善するためのモニタリングを続けていますか?