今週のコラム 「『盤石の財務基盤』を次世代へと繋ぐ」 [第57話] 社員に対しどれだけ「やり切り」をさせて、どれだけ「腹八分目」にさせるか。

私が学ぶ師匠の一人に中村文昭という講演家がいます。わずか2時間の中で笑わせ、泣かせ、心を揺さぶります。スライドや資料などは一切なし。当人はといえば、マイク一本持って、椅子にちょこんと座り、語り続けるだけ。それだけで、何百人もの聴衆の心を揺さぶり続けるのです。

「中村文昭 講演会」でネット検索すれば、たくさんの講演会情報ができてきますので、お近くの講演会が見つかったならば、足を運ばれることをお勧めします。日本全国の津々浦々で年間300回以上、講演をしている人です。あなたの家の近くにも行っているかも知れません。

中村さんの何が凄いかというと、人の心のスイッチを入れる名人なのです。逸話は無数にありますが、たとえば、とある荒れた高校から依頼を受けて講演した時、ふて腐れながらも聴きに来ていた札つきの不良リーダーが講演をきっかけに心を入れ替えた話、10年以上パチンコ依存症で親を悩ませていた青年が講演後すっぱりと依存症から立ち直った話、などなど枚挙にいとまはありません。

先週土曜日にその中村さんのお話しを聴く機会があり、その時の内容をお伝えしたいと思います。

とある高校野球チームの話です。

名前は伏せますが、このチームはかなりの弱小チームで地方大会で1勝すら上げられない状態が何年も続いていたそうです。監督が中村さんの高校時代の後輩だったという縁から、その高校野球部の選手たちに会って話す機会があったそうです。

中村さん:

「監督さんから聞いたんやけど、君ら練習はホンマようやっているそうやな。練習量でいったら強豪チームとそんなに変わらんそうやな。でも、試合になるとなかなか勝てん。そこで、君らに一つ聞きたいんや。ここに割り箸がある。これを紙の名刺でスパーッと切ることができると思うか?」

そう問うたところ、大半の生徒が「そんなの無理だろ」という顔つきをしたそうです。

中村さん:

「今の僕の問いに君らのほとんどが「無理や」と思うたろ。顔を見てればよう分かる。そこだと思うんや。勝てていない理由は。日々の練習量は他校に劣ってはいない。でもなかなか勝てん。その理由はそこや。試合でランナーが塁に出ていて、自分に打順が回ってきた時、今の君らだったらどう思う?」

「よっしゃー、ここは三振してもいいから、思い切りバットを振ってホームランを狙ったる!っていくか?そうではなく、こんな大事な場面で三振でもしたらどうしよう。チームには迷惑を掛けるし、監督には怒られる。」

「これなんや、やる前から悪い方向、悪い方向へと思考を勝手に進めていく。これが、カラぶっても構わん。三振してベンチに下がってもチームメートから拍手喝采をもらえるような気迫みなぎるバッティングをしたる!と思わんか?」

中村さんのこんなコメントを聞いた選手の顔つきは徐々に変わっていったそうです。

中村さんは監督に次のように言ったそうです。

「練習量が目一杯なのは分かった。でもな、目一杯やり過ぎるのもどうかと思うんや。闇雲に体力の限界を超えるような練習を続けたとしても、試合で勝つという成果が出なければ、この子らが小さい頃から大好きだった野球を少しでも嫌いになってしまう気持ちが芽生えんとも限らん。それだけは避けなあかん。そうなってしまうほんのちょっと手前で練習を終えるんや。その代わり、空いた時間でそれぞれの練習の目的は何なのかということを徹底的に考えさせるんや。つまり、思考力を鍛えるんや。」

この話は、高校野球を題材にした指導者と選手の話ですが、実は、広く経営にも通じる話です。それを以下お伝えします。

経営者が社員に当人の限界を超えるような仕事を任せるとします。

社員当人はもちろん社長命令でもあるので、意気に感じ、目一杯自分を追い込み、仕事を進めていきます。やがて、その仕事は見事完遂されるとします。

しかし、これで万歳!とはいかないのです。なぜなら、ただ突っ走って仕事を完遂できても、その仕事が当人にとって、ひいては会社の現状と将来にとってどのような意味があるのか分からずして突っ走った場合、この社員が、いわゆる燃え尽き症候群になってしまう可能性があるからです。

自分に自信を持つためには、「やり切り感」はもちろん大事です。

しかし、それだけではまだ足りない。

足りないというのは、当人がこの段階で燃え尽きてしまわないように経営者がケアする点、当人が将来に向けての時間軸の中で自分自身と会社がまだまだ発展途上だという「腹八分目感」を持たせる点、で足りないという意味です。

この社員が今回成し遂げた仕事により、会社はビジョンに向けて「これだけ近づいた。でも、理想とする状態に対して、まだこれだけのギャップがある。」というように、会社の将来像を具体的に語って肚落ちさせ、かつ自分の将来像に重ね合わさせるのです。

さて、弱小高校野球部の後日談です。

このチーム、ほんの2~3年前までは地区予選では1勝すらままならないチームでした。しかし、なんとこの夏は地区予選を見事勝ち抜いて、地区代表として見事に甲子園全国大会に出場したのです。

初戦の相手は誰もが知る甲子園の常連強豪校だったこともあり、経験の差もあったのでしょう。残念ながら初戦敗退しました。しかし、試合後のインタビューでは、選手は晴れやかな顔で「次は必ずこの甲子園に戻ってきて、1勝をあげます。」と話していたそうです。

中村さんが選手たちの心にスイッチを入れた後、どのような事があったかは具体的には分かりません。しかし、選手たちの野球に対する向き合い方が劇的に変わったことだけは確実に分かります。

来年の甲子園が楽しみになった気ががします。

最後に整理します。

  • 監督は選手に対し目標設定する。その際に、燃え尽き症候群にならないように与えた目標の周辺を語り尽くすことにより、選手の思考の幅を広げる。
  • 選手は与えられた目標を達成するために、目一杯思考力と技術力を磨く。
  • 監督は与えた目標が達成された段階で次の目標を設定する。その新たな目標は選手を心身ともに上の次元に連れていくためのものでなければならない。
  • この次元上昇のサイクルを描いていける限り、選手の成長に終わりはない。

今回お伝えした、この監督と選手との関係は、経営者と社員との関係と何ら変わりはありません。

あなたは、社員に充足感を持たせた後に、次に向けての焦燥感を持たせていますか?