今週のコラム 「『盤石の財務基盤』を次世代へと繋ぐ」 [第66話] 金融庁が主導するも、「事業性評価融資が遅々として進んでいない状況」を俯瞰的に見てみる。

以前にもこのコラムでも触れましたが、金融庁がすべての金融機関に求める融資の基本スタンスとして、従来からの「融資先企業の担保や保証を評価するやり方」から、「融資先企業の事業の将来性を評価するやり方」に舵を大きく切り替えました。

さらに平たく言います。

今までは、金融機関は企業に融資する際に、その企業が所有している不動産や有価証券といった担保価値、および保証を睨みながら、融資するか否かを決めてきました。

つまり、企業が営む事業にたとえ将来性があったとしても、担保や保証がなければ、融資されにくい状況だったのです。

そこには、「将来有望な企業には必要な資金を注入して発展成長の背中を後押していこう」という視点は不在で、あくまでも担保や保証の有無が第一義的な判断基準だったのです。

この流れを主導してきたのが金融庁であり、それに右へ倣えしてきたのが日本の金融機関だったのです。

しかし、当の金融庁が「このままでは地方創生などままならず、地方経済ひいては日本経済の地盤沈下は避けられなくなってしまう」といった危機感を募らせ、自らの過去を自己否定するかのように、舵を180度切り直したのです。

今まで、中小企業に担保や保証を当たり前のように求めてきた融資方針の主導者であった金融庁自らが、「金融機関は、融資先企業の担保や保証に依存するのではなく、当該企業の事業の将来性そのものを評価して融資を判断すべき」との方向に舵を大きく切り直したのです。

まさに壮大かつ大胆な朝令暮改を実行した瞬間でした。

これは、今まで、事業の将来性はあるにも拘らず、担保や保証がないばかりに金融機関から融資依頼を半ば門前払いされてきた、いわば「地方のダイヤモンドの原石的な企業」にとっては極めて大きな朗報になった筈です。

金融機関にとっては鬼よりも怖い金融庁が、「融資判断に際しては、担保や保証に頼らずに、事業性を評価すべし」との大号令を下した訳ですから、金融機関も大手を振って、事業性評価融資に邁進して当たり前という環境が整った筈です。

しかし、です。

思いもよらない事態が起こりつつあるのです。

ここまで事業性評価融資の浸透のためのお膳立てが整ったにも拘らず、状況はなかなか期待通りに進んでいない話が聴こえてきます。

つまり、金融機関の事業性評価融資が、現段階では未だに足踏み状態だというのです。

これは一体どういうことでしょうか?

金融庁が金融機関に発破をかけているのにもかかわらず、事業性評価融資が進んでいない理由に「担当者が忙しく、事業性評価融資をするための情報を収集する時間が無い」「担当者のヒアリングレベルが低いため、必要な情報収集ができない」というのがありますが、それだけではなさそうです。

情報収集能力が高く、時間を効率的に使うことの出来る優秀な担当者であれば、事業性評価融資について積極的に取り組むことはできます。

そのような優秀な担当者はほんの一握りしかいないため、事業性評価融資が進まないとしたら、その辺が主な原因になるのではと予測はしていました。

しかし、理由はそれだけでなく、「金融機関が人の扱い、または評価制度などを変えないと、渉外担当にも人生があるのでリスクを取りにいけない」ということも分かってきたのです。

頑張って、事業性評価融資をしたものの、たまたま、それが焦げ付いた場合、その融資を理由に出世の道が閉ざされてしまうとなると、それを行うことに躊躇してしまう訳です。

組織人としての保身を図るためには、今までと同じことをせざるを得ないという事態に陥ってしまうのです。

事業性評価融資が進まないのは、個人の素質・努力レベルの話と同時に、人事評価を含む組織の運営レベルの話でもあるのです。

つまり、ボトルネックは金融機関のフロント側だけではなく、バックオフィス側にも潜んでいたのです。

これは、金融機関に限らず、すべての企業においても言い得ることです。

何か革新的な試みに挑戦しようとした場合、それが上手くいかなかった場合、

その責任を

“誰が”

“どのように”

取るのか?

そこが決まらない限り、つまり、企業が組織として腹を決めない限り、チャレンジしてみようという人間はなかなか出てきません。

その人に守るべき家族がいれば尚更です。

守るべき家族のために、自分の立場を棒に振るかも知れないチャレンジに躊躇してしまうことは誰も責められません。

新しい試みへのチャレンジを「社会変革の旗印」としての価値を付与するのか、「単なる暴挙」に貶めてしまうのかは、その企業体の長たる経営者の胆力一つです。

今後、事業性評価融資が日本全国のダイヤモンドの原石たる中小企業を発展成長させていくことは、とりもなおさず、日本の国力復活を意味します。

そこに今まさに挑もうとしている崇高な戦士たるバンカーを活かすも殺すも、経営者の胆力一つです。

金融機関の人事評価に関する構造変革を願って止みません。