私たちが生きている資本主義社会(もしくは、欧米型の資本主義社会と言い換えてもいいかも知れませんが)では、売上至上主義、利益至上主義という言葉があたり前の公用語のように取り扱われています。
その状況を別の切り口から見ると、「非効率はムダ、効率性の追求こそが正しい姿」という風潮もかなりハッキリと見てとれます。
現在のように世界中がインターネットで覆われている環境を前提にしている限り、競合相手として、行ったことも聞いたこともない国の企業がいつ名乗りを上げてきてもおかしくない時代です。
そんな環境下では、スピードが命と言わんばかりに、効率性追求に血道を上げて、ムダを1円でも1秒でも1ミリでも減らして他より抜きん出る、といった経営方針が出てきたとしても、それは否定できません。
まさに、「生き馬の目を抜く」という世界です。
まさに、「弱肉強食」という世界です。
昨今、途切れることなく報道されている大企業の組織ぐるみ的な不正問題も、この効率性重視が原因の一つになっているのではないでしょうか。
大企業ですらそうですから、中小企業が世の中全体を覆っている効率性重視の波に翻弄されていることも容易に想像がつきます。
でも、ここで、俯瞰的な視点から、効率性の対極である「非効率」を考えてみることも一法ではないかと考えています。
さて、日本文化に「無の美」といった考え方があります。
私は日本文化の造詣が深いわけではないので、的外れにならないように気を付けてお伝えすると、日本の書道、華道、茶道など、意図的に何らかの空間を造りだすことにより、空間を埋めている事物の素晴らしさを際立たせています。
空間があるからこそ、そこにあるものの意味合いが観る人の心を打つ、とでも言いましょうか。
話を本題に戻します。
会社内で、すべての社員が効率性だけを一心不乱に追及していたら、やがては自身の行動が効率か否かの判断も付かなくなり、どこかで疲弊を招くような気がしてなりません。結果的には、組織全体が金属疲労のような破綻をきたすかも知れません。
そこで敢えて、「非効率」を採り入れてみるのです。
たとえば、部長が部下に「XX君、この資料を10部コピーを取ってくれ。」と指示するところを、こう言うのです。
「XX君、この資料は、今当社が最も力を入れているプロジェクトに関するる進捗報告書だ。このプロジェクトが上手くいけば、関連地域の住民の皆さんの生活が今よりはるかに快適になる。だから、地域を幸せにするために、この資料を10部コピー取ってくれ。」
何をバカな!と思われる方もいるかも知れません。
こんな長々としたセリフを付け加えている暇があったら、1秒でも早くコピーを取らせる方が重要だと。
しかし、この長々としたセリフを付け加えることにより、それを言われた部下、そのセリフが聞こえている他の社員にしてみれば、自分たちの仕事の意味合いや、自分たちの会社が目指す先の一端を垣間見ることができるのです。
そうした一見すると不効率なことを、要所々々に織り混ぜていくことにより、社員が自らの仕事に各人各様の意味付けをしていくのではないでしょうか?
それが積み重なることにより、それまでは消耗戦の如く、「闇雲に追い求めていた効率性」も、「軸の通った効率性」に変容していくのではないでしょうか?
「効率性は非効率の存在があってこそ意味を持ってくる」
それが今回お伝えしたかった点です。
経営者の皆さまの何かの参考になれば幸いです。